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前世知る少年 秋田魁新報連載 平田篤胤『勝五郎再生記聞』を読む

第四十一回 目つきの怖い老法師 祈りの声に耳澄ます

簗瀬均氏、秋田魁新報社の許可を得て掲載しています。大きな画像はこちら


父の祈りで生還した多四郎は、異界の様子を語った。そこには、「上座に座るとりわけ目つきの怖い老法師」がいた。多四郎の証言は続く…。

ふと顔を上げて、上座の老法師を見た。すると老法師は、何かとても恐れている様子だった。頭を傾け耳を澄まして、じつと何かを心の中で聞いているようだった。

老法師が大男に向かって言った。「子供たちを使うつもりで、ここに連れてきたが、この子供(多四郎)の父親が神々へ厳かに祈っている。その声が遠くから聞こえてくるのだ。だから、やがて神の仰せがあるだろう…」

おらも耳を澄まして聞くと、お父さんが神様にお祈りしている声が、風に響いてよく聞こえてきた。

大男がおらに何度も「黙れ! 黙れ」と怒鳴ったのには、訳があった。老法師が耳を澄まして、お父さんの祈りの声を聞いていた。それなのに、おらが「家に帰してください!」としきりに叫ぶので、お父さんの声が聞き取りにくかったのだ。それで大男が、おらを怒鳴ったのだった。

多四郎の父又兵衛が最も信心したのが、風神である龍田神(たつたのかみ)だった。龍田神が風を操り、多四郎の祈りを異界に届けたのだろうか。

ところで「とりわけ目つきの怖い老法師」は、多四郎が言う天狗(てんぐ)なのか、それとも仙人なのだろうか。

柳田国男(1875~1962年)が著した『遠野物語』に登場する天狗は、「眼の光がきわめて恐ろしい」(第29段)とか、神隠しに遭った娘が語る異人が「眼の色が少し凄(すご)し(気味が悪い)」(7段)などと描写され、目の表情がことさら強調されている。人をさらう天狗などの異人は、目が怖くて異様な存在に映ったのだろう。

中には神隠しに遭った美しい女房が、異人と夫婦になり「夫はいたって気の優しい親切な男だが、きわめて嫉妬深いので、そればかりが苦の種です」(『遠野物語拾遺』第110段)などと滑稽な描写もある。

篤胤は、民間伝承にある異界の様子を、初めて体系化して文章にした。柳田も篤胤と同じ手法をとった。

柳田が国学の先達と仰いでいるのが、実証性を重んじる本居宣長だ。宣長は事実からのみ、その本質を探り出そうとした。一方で観念的な篤胤を、柳田は嫌った。篤胤は前もって自説があり、その根拠付けに事実を使っているとされたからだ。だが柳田の深い理解者である民俗学者・折口信夫は述べている。

「柳田先生の学問の初めが、平田学に似ていると言うと、柳田先生も不愉快に思われ、あなたがたも不思議に思われるかもしれません。けれども(略)柳田先生は平田翁の歩いた道を自分で歩いておられたです」(『折口信夫全集第16巻』より「先生の学問」、中央公論社、1987年)。

そう見えた柳田だが、山の異界や異人を全く不思議な現象として捉えてはいない。時には山の奥深くに近代文明の恩恵を受けずに、独自の文化をもち、ひそかに生活している人々がいたことを把握していた。篤胤にない見解である。

「昔から近代において山中の住民がかたく天狗現象だと信じている中で、そうでないと思うことがある。山民(山中で暮らしている人)は幽界を畏怖するあまり、すべての突然現象や異常現象を皆天狗の仕業だと考えたがる。(略)だが日本の山中には明治の今日でも、まだわれわれ日本人と全然縁のない一種の人類が住んでいることだ」(『妖怪談義』より「天狗の話」修道社1956年)。

なるほど農商務省官僚として、農山間部の実態をくまなく調査・研究してきた柳田らしい発言である。

いずれにせよ『遠野物語』が誕生するには、柳田が生まれる32年前に世を去った平田篤胤の著作が、少なからず影響を及ぼしているように思われる。

 

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