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前世知る少年 秋田魁新報連載 平田篤胤『勝五郎再生記聞』を読む

第二十六回 中国の生まれ変わり事例 聡明さ、勝五郎と類似

簗瀬均氏、秋田魁新報社の許可を得て掲載しています。大きな画像はこちら


『勝五郎再生記聞』の後半は、勝五郎の事例を普遍化するように、古今東西の生まれ変わり事例が紹介される。

生まれ変わりの事例は、日本や中国で、昔も今も大変多く見られるが、見識の狭い漢学者たちは理解せず、あり得ないことだと断言する。これについては以前『鬼神新論』(1820年)で神霊の実在を古典に照らして主張した通りだ。

また僧侶は、生まれ変わりを認めているようだが、容易に誰もが生まれ変わるかのように言う。

人が世に生まれるのは、神の産霊(かみのむすび…天地・万物を生み出す神霊)によってだ。1日に千人死ねば、新たに1500人生まれるという。ごくまれに人が動物に、動物が人に、人が人に生まれ変わる。こうしたごくまれな事例を、僧侶は日常的なことのように、あれこれと言い合う。

生まれ変わりは、神が最も秘密にしている事柄だ。極めてまれに前世を記憶して生まれる者はいるが、深い理由があるからだろう。凡人には、神の気持ちが計り知れない。

前世を記憶していない生まれ変わりを除き、正確に前世を記憶していた事例を漢籍(中国の書籍)から挙げてみる。

晋の羊祜(ようこ)は前世に李家の子供だったが、前にもてあそんでいた金環(金製の輪)のありかを記憶していた。鮑靚(ほうせい)という者は、前世に井戸に落ちて死んだ。唐の孫緬(そんべん)という者の召使いは、前世はタヌキだった。崔顔武という者は、前世で杜明福という者の妻だったなど、それぞれが記憶していた。こうした事例は多くの書に見られ、数え切れない。

よく知られる事例の一つに勝五郎に似たものがある。『酉陽雑俎(ゆうようざっそ…唐代の怪異記事を集録した書)』に次のような話がある。

顧況(こきょう…727~815年)は進士(しんし…科挙の合格者)であり唐時代の詩人として名をなしたが、年老いてから、17歳になる息子を失った。息子の魂は夢うつつわが家を離れなかった。顧況は深く悲しみ詩をつづった。

老人一子を喪ふ(老いた私が一人息子を失った)/日暮れ泣(なみだ)血を成す(泣き暮れて涙が血に変わった)/心は断猿を逐ひて驚き(私の心は、子を捕らえられた母猿が悲しみのあまりに死んだかのようだ)/跡飛鳥に随(したが)ひて滅(き)ゆ(旅立つ鳥の、後を追うように息子は逝った)/老人年七十(老いた私は70歳)/多時の別れを作(な)さず(別れを惜しむには歳月が短すぎる)

魂となった息子は、父の詩に深く感じて嘆き「もしもまた人となれるなら、この家に生まれたい」と誓った。

しばらくして息子は、ある場所に連れてこられた。そこに県吏(地方の役人)のような人がいて、息子をまた父顧況のいるわが家に連れ戻したかに思われた。

息子は、それ以後のことを覚えていないが、気が付くとそこは、わが家だった。

兄弟や親族が皆そばにいた。だが話し掛けようとしてもできなかった。(やがてそこに、息子は生まれ変わったが)しばらくは前世のことを何も覚えていなかった。

ところが7歳の時、兄がふざけて彼をぶったところ、息子の口から意外な言葉が出た。「ぼくはおまえの兄さんだぞ。どうしてぼくをぶつ!」

家族は驚き、怪しんで何のことかを問うと、息子は前世での出来事を詳細に語り始めた。するとその内容に少しも誤りがなかった。後に進士となった顧非熊(こひゆう)がこの息子である。

父顧況と同じように最難関の官吏登用試験「進士」に合格した顧非熊は、また父のごとく詩人であった。前世を記憶する多くの子供たちに見られる聡明さを顧非熊も持ち備えていた。勝五郎もそうであったように。

顧非熊として生まれ変わるきっかけは、息子を失った父の深い情愛だろうか。父の想(おも)いに息子の魂が、熱く応えたかに思われる。そして生まれ変わりを導く県吏のような人がいた。勝五郎の場合は、それが老人であった。

 

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