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前世知る少年 秋田魁新報連載 平田篤胤『勝五郎再生記聞』を読む

第十五回 ほどくぼ小僧 周囲があだ名付ける

前世知る少年 勝五郎

簗瀬均氏、秋田魁新報社の許可を得て掲載しています。大きな画像はこちら


勝五郎は肉体のない魂(意識)だったとき、家のかまどのそばにいて、両親しか知らないはずの会話を聞いて覚えていた。やがて母の胎内に宿ると、母が苦しくないように自分の体を脇によけたという。こうした出生前の記憶を、勝五郎は家族に語った。

(勝五郎の話を聞いた)祖母はその後、ますます不思議に思い、ある時、村のお婆さん方が集まる機会があったので聞いてみた。

「この中に程久保村の久兵衛さん(勝五郎の前世である藤蔵の実父)を知っている方がいませんか?」

1人が答えた。「私は知らないが、程久保村に縁者がいるので、問い合わせてみましょう。それにしても、なぜそのようなことを聞くのですか?」

祖母は黙っているわけにいかず、勝五郎の話をざっと語った。

そうするうちに、この1月7日、程久保村から何某(なにがし)というお年寄りが勝五郎の家にやって来た。

「わしは程久保村の半四郎(藤蔵の継父)と親しい仲です。久兵衛は若いころの名で、後に藤五郎と改めましたが、15年前に亡くなり、今は程久保村に久兵衛という者はおりません。久兵衛の妻の後添いが半四郎です。近ごろ人づてに聞いたのですが久兵衛の子で、6歳で死んだ藤蔵が、中野村のこの家に生まれ変わったそうですね。あまりにも話がうまく合い過ぎているので、半四郎の家では詳しい話を聞きたがっています。そこで、わしが使いとしてやって来たのです」

勝五郎の家族は、この老人にこれまでのことを聞かせた。互いに半信半疑のまま老人は自分の村へ戻った。

このようなことがあったため、勝五郎の生まれ変わり話は多くの人々に知られ、勝五郎を見に来る人が現れるようになった。

勝五郎が外出すれば、人々が珍しがり「ほどくぼ小僧」などとあだ名を付けて言いはやすので、勝五郎は恥ずかしがって外出しなくなった。

勝五郎は「だから人に言うなと言ったのに。人に言ったからこうなった」と家族を恨んだ。

「ほどくぼ小僧」とは、中野村に生まれた勝五郎だが、前世が程久保村の藤蔵だと知られたからだろう。「小僧」とは、年少の僧や店で使われる少年、あるいはこわっぱとして見下される言葉だが、勝五郎の場合、百姓の息子ではあるが、仏の導きで生まれ変わった小僧のように思われたのだろうか。

現在、「ほどくぼ小僧まんじゅう」が、東京都日野市の高幡不動尊前で販売されている。高幡不動尊は、古来関東三大不動の一つだ。正式には真言宗智山派別格本山、高幡山明王院金剛寺。

なぜ高幡不動尊で「ほどくぼ小僧まんじゅう」が販売されているかというと、ここの墓地に勝五郎の前世とされる藤蔵の墓があるからだ。

藤蔵と須崎家の墓は、もともと日野市程久保の須崎家所有の山の墓地にあったが、宅地造成のため昭和47(1972)年に現在地へ改葬された。なお藤蔵の家は代々須崎姓だったが、幕末に小宮禰平の次男鏡治郎が家督を継承し、実家の小宮姓を名乗ったことで、現在の当主小宮豊さん(68)に至っている。

高幡不動尊は新選組副長土万歳三の菩提寺である縁から、境内の弁天池入り口に土方の銅像がある。奥殿には近藤勇や榎本武揚、勝海舟の書のほか、秋田市出身の画家寺崎廣業(1866~1919年)の日本画も展示されている。

また高幡不動尊には「不動の金縛り」という霊験話が伝えられている。『武蔵名勝図会』(1820年ごろ)によれば、慶長17(1612)年、かぶき者と称する浮浪の一団が徒党を組んで乱暴を働いた。幕府は大変苦労し犯人たちを捕らえた。だが首謀者の一人大鳥逸平だけは武蔵国多摩郡高幡村(日野市)に潜み、激しく抵抗して犠牲者が増えるばかりだった。

その時、追っ手の中に八王子横山宿(八王子市)の名主(村の長)長田作左衛門がおり、日ごろ信心していた不動尊に祈願した。すると、高幡不動尊の相撲興行に現れた逸平の体は動かなくなり、ついに捕縛されたという。人々は逸平が高幡不動の金縛りに遭ったと語り合った。

金縛りは主に就寝中、意識がはっきりするのに体を動かせなくなる状態。だが本来は仏教用語であり、不動明王が持つ羂索(けんさく…衆生救済の縄状の罠)の威力で、敵や賊を身動きできないようにする密教の秘法だ。「不動金縛りの法」である。

 

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