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前世知る少年 秋田魁新報連載 平田篤胤『勝五郎再生記聞』を読む

第十六回 程久保の家を訪問 勝五郎、祖母と山越え

前世知る少年 勝五郎

簗瀬均氏、秋田魁新報社の許可を得て掲載しています。大きな画像はこちら


勝五郎の生まれ変わり話が知られるようになると、事の真偽を確かめるために、前世とされる程久保村から使いが来るなど、勝五郎を見に来る人々が現れるようになった。

こうしたことも勝五郎の気持ちを動かしたのか、(前世の家である)半四郎の家に行きたいという思いはますます高まった。一晩中泣き続けることもあったが、夜が明けると何も覚えていないという。夜な夜なこうしたことが続くので、祖母は勝五郎の両親に打ち明けた。

「きっと半四郎の所に行きたいという思いが、こうさせているんだろう。おそらく勝五郎の話は事実でないだろうが、勝五郎を一人前の男が連れて行くならまだしも、老いたわしが連れて行くのなら人様にあざ笑われても気にならない。わしが連れて行こう」

源蔵も祖母の話に納得し、祖母を見送ったのが文政6(1823)年1月20日だった。

祖母は勝五郎の手を引いて程久保村を訪れた(程久保村と中野村は山一つ隔てている。距離は約1里半)。祖母が、この家か、あの家かと見当を付けかねていると、勝五郎が「まだ先だ。まだ先だ」と言いながら先に立って歩いた。

「この家だ!」―。勝五郎は祖母より先に、ある家に駆け入り、祖母もそれに続いた。(以前、勝五郎は「程久保の半四郎の家は3軒並んだ真ん中の家で、裏口から山に続いている」と言っていたが、その通りだったという)

家の主人の名を問うと「半四郎」だという。家内の名も尋ねたが、「しづ」と答えた。半四郎夫婦は、かねて人づてに聞いてはいたが、祖母の話をあらためて聞き、不思議に思ったり、悲しんだりして共に泣いた。半四郎夫婦は勝五郎を抱き上げ、じっくりと顔を見詰めた。

「亡くなった藤蔵が6歳の時によく似ている」。勝五郎は抱かれながら、向かいのたばこ屋の屋根を指さして言った。

「以前は、あの屋根がなかった。あの木もなかった」。勝五郎の言ったことがどれも事実だったので、半四郎夫婦はますます驚いた。

集まった半四郎の親族の中に藤蔵の実父久兵衛の妹がいて、勝五郎を見ると「久兵衛にも似ている」と言って泣き崩れた。

勝五郎と祖母が歩いた中野村から程久保村に続く古道は現在「勝五郎の道」と呼ばれ、東京都八王子市の中央大学多摩キャンパス敷地内に保存されている。

勝五郎の生家から藤蔵の家までは標高差100メートル余りの山を越え、6キロほどの道のりだったようである。歩くと1時間以上はかかったであろう。当時の整備されてない山道を、数え年8歳の子供が前もって一人で往復したとは考えにくい。勝五郎は祖母に連れられて初めて程久保村に来ると、今度は家並みの中から、前世の家をすぐに見つけて祖母を案内した。

バージニア大学医学部知覚研究所が40カ国以上から収集した前世(過去世)を語る子供2600事例余りのうち7割ほどが、前世の人物を特定できたという。

そして生まれ変わったとされる子供たちは、通常の方法では知り得ないはずの前世に関わる情報を知っていた。だからといってその子供たちが占い師や予言者のような超感覚的知覚を示す事例は少ない(『人体科学』第23巻、大門正幸、2014年)。

また同大学の調査によると、前世の家族と現在の家族に血縁がなく知り合いでもない場合は、現在の自宅から25キロ以内の所で過ごした前世について語る傾向が見られた。

ほとんどの子供が、前世で暮らしていた地域の最も近い場所に生まれ変わっている。勝五郎の事例もこれに該当しよう。ただ双方の家族が500キロとか175キロといった遠距離の事例もある。

前世の家族と現在の家族が、血縁や知り合いなどでつながりのある場合は、25キロ以内といった距離に関係せず生まれ変わるようである。前世の家族と現在の家族が親しくしていたら、そこに生まれ変わった事例もある。極端な場合、前世の家族のもとに再び生まれ変わる場合さえある。

「魂(意識)が、特定の家族のもとに生まれ変わる場合は、愛情や時には憎しみなどの関わりによって結びつくのではないか」と同大学教授だった故イアン・スティーブンソン博士は考察している(イアン・スティーブンソン『前世を記憶する子どもたち』、日本教文社、1990年)。

 

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