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前世知る少年 秋田魁新報連載 平田篤胤『勝五郎再生記聞』を読む

第三十七回 異界から戻った子供  神に届いた親の祈り

簗瀬均氏、秋田魁新報社の許可を得て掲載しています。大きな画像はこちら


 美声の男が山伏姿の人に声を貸したら、しばらく声が出なくなった。やがて声は戻され、お礼として万病に効く呪禁(じゅごん・・まじない)を授けられたという。
声を貸したなどということは、あるわけがないと疑う人もいるだろう。しかし上総国東金(かずさのくにとうがね…千葉県東金市)という所に住む孫兵衛という人は、異人(異界の人)から口と耳とを借りられ、3年間ほど話すことも聞くこともできなかったという。声を貸した話と似ている。   また、今井秀文(1792~1871年、後の大国隆正(たかまさ)、篤胤門人、国学者)が、「ある諸侯(諸大名)から聞いた話だ」として語った内容を紹介しよう。   その諸侯が治めている領地のある子供が、異人にさらわれて行方不明になった。両親はひどく泣き悲しみ、子供が帰って来るよう産土(うぶすな)の神に必死に祈った。   すると4、5日して子供が帰って来て、次のような話をした。   「異人に連れて行かれた所は、どことも分からない山だった。異人がたくさんいて剣術などの稽古をしていた。ときどき酒を酌み交わすことがあって、その盃(さかずき)を、遠くの谷を隔てた山の頂などに投げては、『取って来い!』と、おらに言いつけた。おらは『どうやって盃を取って来るのですか? おらにはできそうにありません』と断った。すると異人たちは怒って、おらを谷底へ突き落とした。その瞬間、不思議なことに、おらは何のこともなく、たちまちのうちに、その山の頂に立っていて、それから盃を持って異人たちの前にいた。全てこんなふうに異人たちから使われて毎日を過ごしていた。だが昨日、異人たちがおらに言った。『おまえの両親が、おまえの帰りを熱心に祈っているので、早く帰してやれと、産土の神がおつしゃった』と。そういうことで、おらは送り帰された」
 ここまでが今井から聞いた話。以下は篤胤の意見。
また、備後国(びんごのくに…広島県東部)の稲生(いのう)平太郎という人          の所にやって来た山本(さんもと)五郎左衛門という妖怪が、平太郎と受け答えした。その時、産土の神が現れ、平太郎のそばに寄り添って妖怪から守った。そのため平太郎は、妖気に犯されることがなかったという事例もある(『稲生物怪録(いのうもののけろく)』)。   このことから考えられるのは、妖怪が人に取り憑(つ)いて禍(わざわい)をなすようなささいなことは、産土の神たちがすっかりと手中に収め、対処してくれるということだ。産土の神は氏子たちを守り、妖怪を追い払ったり、退治してくれる。だが産土の神を信仰しない氏子には、おのずからその守護が厚くないようだ。このことばよく心得ておくべきだ。   こうした説の真偽を、寅吉(高山嘉津間)に試しのつもりで質問してみた。(寅吉は幼いときから仙人の使いとなって深山で数年過ごしてきた。神の実際の様子を知っているので聞いたのである。寅吉のことは『仙境異聞』にまとめている)   寅吉は答えた。「誠に(篤胤の)おっしゃる通りです。山でも、そのようにお聞きしています。産土の神から厚く守護されている人には、妖怪であれ何であれ、厄をなすことができません。たまたま神が守っていない隙を狙って、妖怪に誘惑される人がいます。でも親が心を込めて神に祈れば、妖怪は人をこの世に戻さざるを得ないのです」
 異人に連れて行かれたり、妖怪に取り憑かれても、産土の神を信仰していれば救ってくれるという篤胤の持論は事例によって補強されていく。さらに異人や妖怪に誘拐されたとき、親が神に心を込めて祈れば、神が異人や妖怪に働きかけ、連れ去った子供をこの世に戻してくれるという。異界で暮らした寅吉の証言も、篤胤の説を根拠付けるものとなった。
 

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