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前世知る少年 秋田魁新報連載 平田篤胤『勝五郎再生記聞』を読む

第十九回 武士願望の賢い小児 大地主と武家の血筋

前世知る少年 勝五郎

簗瀬均氏、秋田魁新報社の許可を得て掲載しています。大きな画像はこちら


篤胤はチームを組んで、生まれ変わったという勝五郎の証言を記録していった。

勝五郎は少しもおませなところがなく、荒々しい遊びを好んだ。普通の百姓の子供にしては賢い方かもしれない。

日頃から武士になりたいと言っている。以前、谷氏(中野村の領主の家臣)が語っていた通り太刀や刀を好み、これを差して武士になりたいと言うので、大小の刀をいろいろと出して抜いて見せると勝五郎は大喜びした。「大人になればこれをあげるから、話を聞かせてくれ」と持ちかけると「それなら…」と話し出した。

米バージニア大学医学部知覚研究所によると「生まれ変わり」を語る子供は、知能の高い子が多いという。勝五郎に.ついても篤胤は「普通の百姓の子供にしては賢い方かもしれない」と述べている。

それは勝五郎が大地主と武家の血も引く家系に生まれ育ち、それなりの素養を身に付けていたからだろうか。勝五郎の祖父勘蔵は、武州多摩郡中野村(東京都八王子市東中野)の大地主小谷田家出身だ。

祖母つやは若いころ、伊予(愛媛)の今治藩久松松平壱岐守の奥女中(家政の仕事)をしていた。勝五郎の母方の祖父村田吉太郎は、御三家筆頭尾張徳川家の家来だった。母せいが3歳のとき、祖父は訳があって浪人になった。

母は祖父が浪人になったことで12歳の時、本田大之進家の下女になったが、本来武家の娘である。そうしたこともあり、勝五郎は祖母や母から武家の暮らしぶりを聞いて育ったことだろう。勝五郎の武士願望は、こうした家庭の影響を受けているのかもしれない。

なお勝五郎の父源蔵と母せいは、源蔵が江戸で奉公していたときに所帯を持ち、文化6(1809)年、長女ふさが生まれた。その後、中野村に戻り、兄乙次郎、勝五郎、妹つねが生まれている。

小谷田家は、読み書き計算ができ百姓の傍ら、商いで生計を立てていける家族であった。こうした環境で、理知的な勝五郎が生まれ育ち、前世を語ったものと思われる。

松浦静山著『甲子夜話(かっしやわ)』にも勝五郎を評して「百姓の倅(せがれ)に似合わず行儀が良い。手先が器用で籠細工が上手。少食で魚類を食べない」と記し、「顔立ちも見苦しくなく、怜悧(れいり…賢い)の小児」と表現している。

この後『再生記聞』で勝五郎は、僧が説く極楽の存在をきっぱりと否定する。

勝五郎に、わざと僧などを尊いもののように言うと、「あいつらは人をたぶらかして物を取ろうとする悪いやつらだ」と、ひどく腹を立てた。

「でもお経を読んでもらえば地獄へ行かず、極楽というよい国に生まれるだろう?」と聞き返すと、「お前さまが好きなようになさればいい。おらは嫌いだ。極楽などは偽りで、ますます嫌いになった」と答えた。

(神仙界を訪れ、呪術を身に付けて帰って来た寅吉こと)嘉津間が山から初めて帰ってきたときの様子と異なるものの似ているところがある。

異界の体験者である嘉津間と勝五郎に似ているところがあるという。

仏教における異界(あの世)を批判的に捉える篤胤は、神の導きで異界とこの世を行き来した2人の少年が同じような様子だと述べることで、自らの考えを力説しているように思われる。

「善人は極楽、悪人は地獄」という死後の裁きの観念は、仏教がわが国に伝来する以前は日本に存在しなかったであろう。日本の古典を研究し、日本固有の思想・精神を究めようとした国学者篤胤にとって「極楽などは偽り」と言う勝五郎の発言は、自らの学説を裏付けるものとなった。

 

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