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前世知る少年 秋田魁新報連載 平田篤胤『勝五郎再生記聞』を読む

第三十九回 異界に行った息子  父の祈りかない生還

簗瀬均氏、秋田魁新報社の許可を得て掲載しています。拡大画像をみる大きな画像はこちら


便所で「あっ ! 」と叫び、急に姿を消した多四郎。家族は多四郎が、天狗(てんぐ)にさらわれたと考えた。そこで父又兵衛は、息子多四郎が戻って来るよう神々に祈願した …。
又兵衛があげた祝詞(のりと)は、まずはじめに産土(うぶすな)の神である龍田神(たつたのかみ)に。次に万(よろず)の神々に、「私の祈りを早くお聞き届け下さい」と唱えた。
 又兵衛が信仰した龍田神の総本宮である龍田大社は、風神として古くから信仰されてきた。その摂社(せっしゃ…付属する神社)である龍田神社の伝承は、『再生記聞』に似ているところがある。  それによると、法隆寺の建立場所を探していた聖徳太子が、白髪の老人に出会った。白髪の老人は、太子に言った。「斑鳩(いかるが…奈良県生駒郡)が仏教の栄える地だ。私が守護神になろう」と。白髪の老人は龍田大明神だった。太子は斑鳩に法隆寺を建立。その鎮護として龍田神社を祀(まつ)ったという。  「前世知る少年」、すなわち勝五郎を、この世に生まれ変わらせたのも白髪の老人だった。神が人格化する際に、白髪の老人になって現れる。そうした伝承は少なくない。  さて父又兵衛の祝詞は、延々と続く…。
「八百万神(やおよろずのかみ)よ、とりわけ神の世界を治められている大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)、それに産土大神よ。穏やかで優しい霊魂でなく、荒ぶる霊魂をもって、神々よ、残らず全てお出で下さいませ。そして私の願いを聞き届けて下さい。私は深く神を尊び、神霊のご加護を敬ってきました。自らの心を正し、一日も神を拝まないことがございませんでした。それなのに今、わが子がこんな災難に遭うとは、神が頼りにならないからでありましょうか。一方で・は愚かな看たちに、後ろ指を指されるのが恥ずかしい。そうであれば私の恥は、神の道の恥でもありましょう。明日とは言わず、今すぐにわが子を返してくださいませ…」   又兵衛は大声で繰り返し、汗だくになりながら6時間ほど祈り続けたという。祈りがあまりにも高じて夜が明けていた。   又兵衛は、腹がすいた。そこで階段を下りて1階に行き、自分で飯びつ(おひつ)を取り出して、飯を2杯食べた。そうすると玄関で、慌ただしく戸を叩く音がした。   「誰ですか?」と又兵衛が問うと、「安兵衛のところから来ました。多四郎が今、帰りました。でも息が切れているように見えます。だから早く来てください」と言い置いて、そのまま立ち去った。  又兵衛は息子が帰遺したことを大変喜び、神々に感謝を申し上げた。そして近所の医師を連れて、安兵衛の家へ急いで駆けつけた。   到着してみると多四郎は、すでに死んだかのように見えた。だが息はある。人々が多四郎を取り囲んで「多四郎! 多四郎!」と名を呼び、「どんな具合だ?」と問い返していた。   事の経緯はこうだ…。長屋の人たちが鉦(かね)や太鼓を叩いて、多四郎を探しに出ていた。家の人たちは、ただあきれ果てて、顔を見合わせているばかりだった。七つの鐘(午前4時ころ)を打つころ、突然長屋がぐらぐらと震動して、空から家の出入り口に、何かひどく大きな物が、落ちたような音がした。と同時に「う~ん」という、うめき声が聞こえた。   家の人たちが驚いて戸を開けると、多四郎が横たわっていた。やがて多四郎はのたうち回って庭に転がった。意識がないようだった。   顔に水を浴びせ、医師に気つけ薬(意識を呼び覚ます薬)を処方させ、少し身動きができるようになるのを待った。それから「多四郎! しつかりしろ! 父さんだぞ」と3度ほど呼び掛けた。   すると多四郎は、ぱっと目を見開き、又兵衛を見詰めた。
父又兵衛の必死な祈りがかない、多四郎は目を覚ました。それにしても多四郎はどこへ連れられ、どうやって帰ってきたのだろうか。
 

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