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前世知る少年 秋田魁新報連載 平田篤胤『勝五郎再生記聞』を読む

第十四回 魂のありか 脳内か、それとも外か

前世知る少年 勝五郎

簗瀬均氏、秋田魁新報社の許可を得て掲載しています。大きな画像はこちら


臨死体験者は、一般的に身体から魂が抜け出て自分の姿を見たり、三途(さんず)の川へ行ったり、亡くなった人に会って蘇生したりなどという記憶を持っているようだ。

米ミシガン大学のジモ・ボルジギン准教授(神経科学)は、ネズミの脳に直接電極を入れて実験し、心臓の活動が停止しても微細な脳波が数十秒間続くことを確認した。心臓が止まり血液が流れなくなった後も、脳の活動は続くという。臨死体験をしている時の脳は、実は活動しているのではないか、意識も存続しているのではないかという推測が成り立つ(NHKスペシャル「臨死体験 立花隆 死ぬとき心はどうなるのか」、2014年9月14日放送)。

立花氏は、人間の魂(意識)が脳によって生み出されると考え、臨死体験は「死の間際に見た脳の幻覚である」という「脳内現象説」を取っているようである。

心臓が止まって数10秒後、脳の機能は完全に失われる。脳内現象説では脳が働かなければ記憶は残らない。だが、その後に起こった出来事の記憶は、どのように説明すればいいのだろうか。

平田篤胤(あつたね)著『勝五郎再生記聞』において勝五郎の前世とされる藤蔵は、亡くなってから生まれ変わる先の家に行き、両親が話していた内容や、母親の胎内にいる時の様子を鮮明に記憶していた。勝五郎の詳細な記憶は、通常の臨死体験者が記憶している範囲をはるかに超えている。

臨死体験を研究したオランダの心臓病専門医ウィリアム・ヴァン・ロンメル博士は、本来の意識は時空を超えた場所にあるのではないかと考えた。「脳が意識をつくり出すのではなく、脳によって意識が知覚(感知)されるのではないか」と述べている(『TIME』インターネット版、「Health & Science」、2007年8月31日)。つまり人間の魂(意識)と肉体はもともと別の場所にあり、両者をつないでいるのが脳であるという。

米国の心理学者アーノルド・ミンデル博士は、意識不明となり昏睡(こんすい)状態にある人々を調査し、横たわりながらも「よその町を歩き回った」いう多くの体験談を得た。「人の体内には非物質的なものもあり、肉体の死が近づくにつれて活性化される」という仮説を唱え、「人間の意識は肉体の外に飛び出すこともあり得る」と発言している。(アーノルド・ミンデル『昏睡状態の人と対話する―プロセス指向心理学の新たな試み』、NHKブックス、2002年)

そうした学説の実例として、日本の僧や山伏などが、断食や不眠不休の厳しい修行をして死の境地に近づく際、神仏のような存在に出会ったり、超常的な体験を味わったりするという通常の脳活動では感知できそうにない体験が挙げられようか。

脳機能が極度に落ち込むと、視覚や聴覚など五感を使わなくても、出来事を感じ取れる事例が多いという(『人体科学』第23巻、大門正幸、2014年)。

ハーバード大学メディカルスクールの脳外科医であったエベン・アレキサンダー博士は、2008年に細菌性髄膜炎という重い病にかかり、昏睡状態になって臨死体験をした。アレキサンダー博士は回復後に、自分の脳の状態を調べた。すると昏睡状態の7日間、脳の大部分は機能停止していたことが判明した。

博士の大脳皮質も機能しておらず、「脳内現象説」では幻覚を見ることができない状態だった。しかし、博士は臨死体験していた時、現実とは異なる世界を旅していたという。最も印象的だったのは、青い目の美しい女性に迎えられた世界だという。ピンクの雲のようなものが果てしなく広がっていた。そして「鳥」か「天使」か区別できないような存在が飛び交い、壮麗な「音」が響いていた。

博士には全く面識がなく顔も知らないまま他界した実の妹がいた。臨死体験中に対面した青い目の美しい女性が妹だったという。博士は臨死体験後に両親から渡された顔写真を見て、初めて実の妹の顔を確認した。

博士は脳外科の権威であり臨死体験などには否定的だった。だが、自らの臨死体験で見たという世界は、死後の世界に続くものだと確信し、肯定的な認識に転じたのである(エベン・アレキサンダー『プルーフ・オブ・ヘヴン―脳神経外科医が見た死後の世界』、白川貴子訳、早川書房、2013年)。

果たして魂(意識)は、脳の中にあるのか、それとも外に実在するのか。また臨死体験から続く死後の世界はあるのだろうか。

 

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