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前世知る少年 秋田魁新報連載 平田篤胤『勝五郎再生記聞』を読む

第二十七回 生まれ変わり 鎮守の神のお導き

簗瀬均氏、秋田魁新報社の許可を得て掲載しています。大きな画像はこちら


今回も勝五郎と似た中国の事例が紹介されていて興味深い。

1198年ころ成立した奇怪な伝説集『増補 夷堅志(いけんし)から』から…。代州啍(かく)県(山西省)に蘆忻(ろきん)という人がいた。生まれて3歳でよく話をし、前世の記憶を母に語った。

ぼくの前世は、回北村の趙氏(ちょうし)の子だった。19歳の時、放牧している牛を山から下へ追い掛けていた。でも秋の雨で草が滑りやすくなっていて、ぼくは足を滑らせて転び、崖の下に落ちた。

ようやく起き上がって見ると、ぼくのそばに誰かが倒れていた。ぼくと同じ牛飼いが、崖の下に落ちて倒れているのかなと思い、大きな声を上げて、その年飼いに呼び掛けたが、反応がなかった。よくよく見ると、その年飼いは、ぼく自身だった。

そこでぼくは、何とかしてその体に入ろうとしたが、できなかった。ぼくは自分の体を見捨てることができず、左右を徘徊(はいかい)していた。

翌日、両親が来てぼくの死体を発見した。声を上げて激しく泣く両親に、ぼくは何度も話し掛けたが、両親は聞こえない様子で、何も反応しなかった。

やがて両親は、ぼくの体に火を付けて焼こうとした。その時、「ぼくを焼かないで下さい」と叫んだが、ぼくの声は届かなかった。

火葬が終わり、家族は骨を拾ってその場を去った。ぼくは後に付いて行こうとしたが、両親を見れば身の丈が1丈(約3メートル)を超えているかに思えた。ぼくは恐ろしくなって、後に付いて行けなくなった。

ぼくは帰る所もなく、さまよいながら1カ月月余りを過ごしたが、どこからともなく1人の老人が現れた。そして「おまえを帰してやろう」と言うので、後に付いていくと、ある家に着いた。老人はその家を指さして「ここがおまえの家だ」と言って、ぼくを生まれ変わらせた。これが今のぼくだ。

蘆忻は続けて母に話した。

夕べ、ぼくは夢で前世の両親に、このことを告げた。だから明日、前世の親がぼくに会いに来る。前世の家で飼っている白馬に乗って前世のお父さんが来るはずだ。

母は蘆忻の夢の話が信じられなかった。だが翌日、母と蘆忻が家の門で待っていると白馬に乗った人が、まっしぐらに駆けてきた。蘆忻は一目散に飛び出して叫んだ。「お父さんが来た!」

蘆忻の前世の父が、蘆忻を迎えに来たのだった。蘆忻は父と抱き合って、泣きながら昔のことを話した。全て事実と一致していた。これ以降、蘆忻は、蘆氏と趙氏の二つの家で養われることになった。これなどは勝五郎の話に、特によく似た事例である。

唐土(とうど…中国)でも城隍神(じょうこうしん)といって産土(うぶすな)の神のように所々に鎮守様が祭られている。生まれ変わりを導いた「県吏のような者」も「老人」も、その正体は、この産土の神のような鎮守の神々であろう。

そもそも生まれ変わりのことは、和漢の書籍に多く記録されている。広範囲に調べて考えると、顧況の長男が顧非熊(こひゆう)に、趙氏の子が蘆忻に、程久保村(東京都日野市程久保)の藤蔵が今の勝五郎としてそれぞれ生まれ変わったことは、わが国では産土の神、唐土では城隍神のお導きである。

       

この他に妖魔(ようま…妖怪や化け物など)が生まれ変わることも多い。これについては『古今妖魅考』(1821年、極楽と地獄は幻想と説く)と名付けた拙著で詳しく論じた。

中国もわが国も生まれ変わりを導くのが、鎮守の神や産土の神だと篤胤は確信する。

 

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