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前世知る少年 秋田魁新報連載 平田篤胤『勝五郎再生記聞』を読む

第三十八回 突然姿消した少年  天狗にさらわれた

簗瀬均氏、秋田魁新報社の許可を得て掲載しています。大きな画像はこちら


 異人(異界の人)に連れ去られたり、妖怪に取りつかれても、産土(うぶすな)の神を信仰し、この世の人々が熱心に祈れば救われるという篤胤(あつたね)の考えは、異界で暮らした寅吉の証言によって裏付けられていく。だが必ずしも、そういかない場合があると寅吉は語る。
「それでも場合によっては、人が異界(あちらの世界)の事情を、この世に漏らすことを避けるため、妖怪が人を阿呆(あほう…愚鹿)のようにして、この世に送り返すことがしばしば見られる。神のご加護もそれを防ぐことばできないようだ。またこの世の人々が、異界にさらわれた人の帰りを、いかに熱心に祈っても、この世に戻ってこない場合がある。それは神と妖怪が互いに、何かをしようとして、人を異界にとどめ置き、使おうとするためだろう。だからいくら祈っても、必ずかなうとは限らない」
自らの体験による寅吉の証言は、時によっては異界から戻れないことがあるという。神と妖怪が、さらった人を使うというが、何をさせるのだろうか。その内容については具体的に書かれていない。  こうした奇怪な事件例を、篤胤も紹介する。
寅吉の話を聞いて思い出したことがある。 わが家(篤胤宅)を訪れては、あれこれと質問して帰る野山又兵衛種麻呂という男がいる(通称・又兵衛)。家は江戸南鐺(こじり)町というところだ。又兵衛には多四郎という息子がいる。文化13(1816)年、多四郎が15歳の時だ。   多四郎は、芝口日蔭町(港区新橋)という所に住む多四郎のいとこ(母のおい)万屋安兵衛の家に泊まっていた。その時、誤って釘(くぎ)を踏みつけ、大けがをした。それで多四郎は、安兵衛の家で寝込んでしまった。   5月15日のことだ。日が暮れて灯火をともすころだった。多四郎は、痛む足をこらえて無理に下駄(げた)を履いた。裏の便所へ行って小便をするためだ。その様子を安兵衛の家族は、確かに気付いていた。その時だ。「あっ!」と叫ぶ多四郎の悲鳴が聞こえた。   家族が急いで駆けつけると、すでに多四郎の姿は見えなかった。そこには多四郎のちぎれた片袖が落ちていた。履いていた下駄は、屋根の上にあった。   家族の人たちは驚いて口々に、多四郎の名を呼び叫んだ。だが何の返事もない。これは天狗(てんぐ)にさらわれたに違いないと、家族は判断した。急いで多四郎の父又兵衛のもとに、知らせの使いを走らせた。   又兵衛が急いで安兵衛の家に駆けつけた時には、安兵衛と同じ長屋の人たちが威勢よく集まり、(これまで行方不明となった人々を救う時の)ならわしによって太鼓、鉦(かね)を打ち鳴らして呼びに出ようと騒ぎ立てていた。又兵衛は言った。   「これはまさに天狗の仕業だと思う。通り一遍に呼び叫んでも息子多四郎が帰って来るはずがない。いたずらにみなさんのお手を煩わせるのは心苦しい。まずは鉦、太鼓をご遠慮下さい」   しかし騒ぎ立てるのがならわしであるため、人々は多四郎の父又兵衛が止めるのを振り切って外へ出た。   やむなく又兵衛は自宅へ戻り、泣き崩れている家族に事情を詳しく説明した。   「俺がお祈りして、必ず多四郎を連れ戻す。だから泣くな!」と家族を慰めた。   又兵衛は髪をかき乱して、井戸端で水を全身に浴び身を清めた。そして2階にある神棚の前へ行った。   そこでかしこまり、常日頃私(篤胤)が又兵衛に教えている内容に従って祝詞をあげたという。
 果たして多四郎は天狗にさらわれ、異界へ行ったのだろうか。天狗は実在するのか。父又兵衛が神に祈ることで神が動き、息子多四郎は戻って来るのだろうか。
 

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