トップページ > 「前世知る少年」平田篤胤『勝五郎再生記聞』を読む

前世知る少年 秋田魁新報連載 平田篤胤『勝五郎再生記聞』を読む

第三十一回 わが国は神国 「本地垂迹説」を批判

簗瀬均氏、秋田魁新報社の許可を得て掲載しています。大きな画像はこちら


三井寺の公顕僧正(こうけんそうじょう)が毎朝、風変わりな所作(礼拝など)を行うので、諸国を巡る高野山の善阿弥陀仏が質問した。すると意外な答えが返ってきた。

「喜んでお答えしよう。都にある神々は言うまでもなく、地方諸国に至るまで、伝え聞いた日本中の神々の名を書き、神霊をこの一間の帳(とばり)に招き入れた。そして神咒(しんじゅ)心経(『西遊記』で知られる玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)が訳したお経)などを唱えている。だが仏教の修行でない。生死の苦から、悟りの境地に入るための祈りだ。わが国は神国。われらは皆その末裔(まつえい)。神でなく仏を信仰しては、本来のご加護が得られない。皆が気持ちを一つにして神を信仰すべきだろう。そう願って、長年にわたり、毎朝この所作を続けている」

旅の僧善阿は、公顕僧正に「誠に尊い行いでございます」と述べ、喜んで帰った。

そして高野山の明遍僧都(みょうへんそうず)に伝えた。すると明遍僧都は公顕僧正を「智者だから愚かな事をするはずがない。今更ながら感激した」と評し、うれし涙をこぼしたという。

「青は藍より出て藍より青し」(出典『萄子(じゅんし)』)のことわざのように「仏から出て、仏よりも尊いのが神の御利益だ」と明遍僧都と善阿は語り合った。

(※筆者注釈…仏が本来の姿であり、仏が仮に神の姿になって衆生を救済するという説から、「神が仏から出た」と解釈された)

公顕僧正の足跡を慕い、心ある人は公顕僧正に学ぶべきだと語る2人は、道理の分かる僧たちだ。

だが神が仏に秀でる恩恵を心得ながらも、なお僧として一生を終えるのは惜しいことだ。僧は、その当時(平安後期―鎌倉時代)から、いまだに真(まこと)の道を学んでいるが、まだ詳しく理解していない。

世にあまねく普及している仏教を、捨てがたく思っている。またお経の多くが後世の著作物であり、典拠が明らかでないことに気付いていない。それに仏が衆生を救うため、仮に神の姿になって現れるという考え(「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」)は、明らかに誤りだ。

さて、『壒嚢鈔(あいのうしょう)』(室町中期の百科事典)に「なぜわが神(日本の神)を後回しにして他の神(外国の神=仏教)の御利益を得ようとするのか。もしわが神が崇り(たたり)をなせば、他の神にいかに頼んでも助けてくれないだろう」とある。これは、もっともなことだ。

物部尾輿(もののべのおこし)と中臣鎌子(なかとみのかまこ)(共に飛鳥時代、大王(おおきみ)を補佐した豪族)が仏教導入論を退けようとしたとき、「わが国家は常に天地社稷百八十神(あまつやしろくにつやしろももやそのかみ)の祭りを行う。あらためて蕃神( ばんしん… 外国から伝来した神)を拝めば、国の神の怒りを受けるだろう」と言った。この道理を考慮せず、なお仏にへつらい、僧で生涯を終えるのは誠に気の毒だ。

また、物部守屋(もののべのもりや… 尾輿の子)と中臣勝海(なかとみのかつみ)の言葉に「なぜわが国つ神(国土を守護する神)に背いて他神(あだしかみ… 他の神)を敬うのか。これまでの由来を知らないからだろう。他神とは仏のことだ」とある。

また、無住法師(むじゅうほうし… 仏教説詩集『沙石集(しゃせきしゅう)』の編者)が、「心ある人は公顕僧正の足跡に学びなさい」と言ったのは、もっともなことだ。また『荀子(じゅんし)』の例えを引いて、神を仏から出た垂迹(すいじゃく… 仮の姿)と考えるのは、僧として無理がないだろう。だが実は、国土、人民、草木はもちろん、釈迦も達磨(だるま)も猫も杓子(しゃくし)もみな神の垂迹であり、神が本来の姿だ。このことを無住法師が知らないのが誠に残念だ。

そもそも仏が本地(本来の姿)であり、神が垂迹だという説を、林羅山(はやしらざん)先生(江戸初期の儒学者)が反論している … 。

林羅山は自著『本朝神社考(ほんちょうじんじゃこう)』で、『古事記』『日本書紀』などの国史に照らし合わせ、神道と仏教が混じり合う神仏習合思想を排斥した。

 

このページの先頭へ