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前世知る少年 秋田魁新報連載 平田篤胤『勝五郎再生記聞』を読む

第五回 小泉八雲が海外に紹介 米での研究の契機に

前世知る少年 勝五郎

簗瀬均氏、秋田魁新報社の許可を得て掲載しています。大きな画像はこちら


勝五郎の再生話は、海外にまで伝わっている。時代は下るが明治30(1897)年、小泉八雲(1850~1904年)が随想集『仏の畠の落穂』に「勝五郎の転生」を著し、米ボストンとニューヨークで発売した。題名にある「仏の畠」とは「仏国土」、つまり「仏の国」の意味だ。八雲は、勝五郎が仏の力で生まれ変わったと考えたのだろう。

大切な人を亡くすと、この世に生まれ変わってほしいと願う人は多いだろう。実際に生まれ変わった話があるのなら、詳しく聞くために、その人に会ってみたいと思うのは自然なことだ。八雲は、そうした日本人の心情に共感し、勝五郎の再生話を海外に紹介したように思える。

八雲は日本人の宗教的な心情を資料に基づいて紹介した。資料としたのは『椿説集記』である。同書は、江戸芝車町(港区)の南仙波という人物が、文政6(1823)年から天保6(1835)年にわたって奇事異聞を入手して書き写した著作だ。八雲が書いた内容からして、池田冠山の『勝五郎前生話』を基に集録したものと思われる。

「勝五郎の転生」の記述は、伝道者の雨森信成(あめのもりのぶしげ1858~1906年)が、八雲に明治天皇の側近佐々木高行(1830~1910年)の蔵書『椿説集記』を紹介したことによる。雨森は八雲晩年の親友であり、八雲没後の明治39(1906)年に『人間ラフカディオ・ハーン』という評伝を英文で発表したが、この中で「勝五郎の転生」執筆の経緯を紹介している。(『日野市郷土資料館紀要第3号』、小泉八雲『勝五郎の転生』をめぐる研究課題について、北村澄江、2008年)

「生まれ変わり現象」の先駆的研究者として知られるのが元米バージニア大学教授のイアン・スティーブンソン博士(1918~2007年)である。研究に携わるようになったきっかけの一つが、八雲が紹介した勝五郎の事例だったようだ。スティーブンソン博士の著書『前世を記憶する子どもたち2 ヨーロッパの事例から』の訳者笠原敏雄氏(心理学者)は、同書のあとがきで次のように述べている。

「著者は1957年にバージニア大学医学部精神科の主任教授に就任した。39歳だった(同大学は、アメリカ独立宣言で有名なジェファーソン大統領が創設した名門)。間もなく関心があった生まれ変わりの実例を、世界中のさまざまな資料から44例も探し出し、そのうちの7例を要約して紹介した。その第1例が小泉八雲が英語で紹介した『勝五郎』の事例だった。その勝五郎について書いたスティーブンソンの論文を見た人から、資金援助を受け、1961年にインドへの調査旅行に出かけたのが、生まれ変わり研究の出発点になった」

その後、スティーブンソン博士が率いるバージニア大学医学部の研究グループは、東南アジアを中心に、前世の記憶を持つとされる子どもたちの事例を2600以上集めている。

スティーブンソン博士の研究は、月刊の科学雑誌としては最も古い『神経・精神病学雑誌 Journal of Nervous and Mental Disease 』に掲載され、特集が組まれた。当時の編集長ユージン・B・ブロディ教授は「特集を組んだ理由は、執筆者が科学的にも個人的にも信頼に足る人物であり、正当な研究法をとっており、合理的な思考をしているからである」とコメントを残している。特集が掲載された後、スティーブンソン博士の下に世界中の科学者から、論文の別刷りを請求する手紙が約千通届いたとされる。

勝五郎再生話に端を発した「生まれ変わり現象」は、小泉八雲によって海外に紹介され、それを知ったイアン・スティーブンソン博士によって本格的な研究が始まった。それがバージニア大学医学部に引き継がれ、現代の研究に至っている。

 

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