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前世知る少年 秋田魁新報連載 平田篤胤『勝五郎再生記聞』を読む

第二十一回 死を恐れぬ 死期迫る縁者を世話

前世知る少年 勝五郎

簗瀬均氏、秋田魁新報社の許可を得て掲載しています。大きな画像はこちら


死を体験し、生まれ変わったという勝五郎にとってみると、死への恐怖はみじんもない。

勝五郎の父源蔵が語るには、勝五郎は生まれつき化け物や幽霊などを少しも怖がらないという。

私(源蔵)は少し縁がある源七という病人を家に置いて世話していた。ところが源七は気が狂っていたので、家から離して小屋を建てて住まわせた。

源七は死ぬ直前になると恐ろしい形相になったので、勝五郎の姉や兄などは怖がって小屋の傍(そば)にさえ近寄らなかった。

だが勝五郎だけは「源七が間もなく死ぬように見えるので哀れだ。薬も食べ物も十分にあげてほしい。いつでも、おらが持っていくから」と言って、夜中でも食事や薬を持って行って与えた。

源七が死ぬと姉と兄などは怖がって便所へも行けなくなったが、勝五郎は「死んだ人の何が恐ろしいか」と言って少しも怖がらなかった。また自分が死ぬことを全く恐れない。勝五郎になぜ死が怖くないのかと問うと、次のように答えた。

「おらが死んだと人が言ったので、初めて死んだのに気付いた。亡きがらも見たが、自分では死んだと思わなかった。死んだ時も人が見るほど苦しくなかった。死後の世界はおなかが満ち足りていて、暑くも寒くもない。夜でもそんなに暗くない。いくら歩いても疲れず、老人と一緒にいれば何も怖くなかった。6年目に生まれたと聞いたが、あちらでは、ほんのわずかな間だったように覚えている。また御嶽(おんたけ)様は『死ぬのは怖いことでない』と、おっしゃった」

「御嶽様とは、どのようにしてお会いしたのか」と問うと、勝五郎は他のことに話をそらして答えなかった。

「御嶽様」がいきなり出てくる。これまで登場した不思議な老人との関わりは分からないが、小泉八雲は「勝五郎の転生」で、勝五郎の言う御嶽様が御嶽教を始めた教祖下山応助だと考察する。幕末に江戸浅草で油問屋を営む下山は、熱心な木曽の御嶽山の修験者で、同志を集めて御嶽講社を組織した。

古来、山岳信仰には、一種の「生まれ変わり」の世界観がある。神聖な山岳に存在する霊魂が、神の導きによって女性の胎内に宿ってこの世に生まれ、神に守られて成長し、死後また聖なる山へ帰ると考えられた。

ある人の記録に、勝五郎がたびたび「おらは、のの様(神仏などを尊ぶ幼児語)だから大事にしておくれ」とか「早く死ぬかもしれない」とか「僧に布施するのは、とても良いことだ」と言ったとある。また勝五郎の父源蔵に「あなたは、仏道を信仰しているか」と尋ねたところ次のように語った。

「勝五郎が『人にものを施すのはよいことだ』と言ったのは聞いたが、その他のことは母(勝五郎の祖母)に言ったものか、私は聞いていない。私自身は仏道を深く信仰していないが、父の時代から乞食(こじき)、道心者(仏道に帰依した人)らが門口(かどぐち)に来ると、わずかずつ施物(せもつ)を施している。これは後世(ごせ…来世)を願うのでなく、ただものを乞う彼らを哀れに思うからだ」

僧への布施については、たどたどしい勝五郎の発言を聞き手がいかに解釈するかで、肯定的にも否定的にも受け取られよう。勝五郎の家族が訪問者に施しをしたのは確かなようだ。

 

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