トップページ > 「前世知る少年」平田篤胤『勝五郎再生記聞』を読む

前世知る少年 秋田魁新報連載 平田篤胤『勝五郎再生記聞』を読む

第一回 民俗学者の草分け 霊魂に強い関心抱く

平田篤胤の『勝五郎再生記聞』を読み解き、現代の生まれ変わり研究の最先端にまで及ぶ連載が、今年4月から秋田魁新報日曜版で始まりました。

著者は秋田県湯沢市で教鞭を執る簗瀬均氏です。平成25年4月に勝五郎生まれ変わり物語探求調査団、日野市郷土資料館に調査にみえ、私共が資料提供したのがご縁で交流が続いています。

前世知る少年 勝五郎

簗瀬均氏、秋田魁新報社の許可を得て掲載しています。大きな画像はこちら


国学の四大家と称された平田篤胤は「復古神道」を鼓吹した。篤胤の説いた勤皇思想は明治維新の精神的な支柱となった一方、国粋主義的な思想として日露戦争、太平洋戦争などにも影響を与えたとされる。

だが篤胤が唱えた「復古神道」は、儒教や仏教などの影響を受ける前の日本民族固有の精神に立ち返ろうという純粋な思想であって、江戸幕府を排除したり、外国との戦争に関わるものではなかった。

民俗学者・折口信夫(1887~1953年)は篤胤を、国学者以上に民俗学者の草分け的存在として学術面から高く評価した。

戦争中の1943年に折口が講義した「平田国学の伝統」(中央公論新社の新編集決定版折口信夫全集)で篤胤を次のように評している。(筆者が現代仮名遣いに改めた)

「篤胤先生の学問に広い気風を感じる。何か非常に大きく、広い掌(てのひら)をもって学問の徒弟を愛撫しているような感じだ。 ~ 中略 ~ 篤胤先生という人は天狗の陰闇(かげま…修業中の少年歌舞伎俳優)みたいな子供を傍らにおき、一生懸命聴いて、それを疑っていない。事細かに書いている。篤胤先生の学問も疑わしくなるくらい疑わずに、一心不乱に記録している。そういう記録になると篤胤先生の文章がうまい」

本居宣長をはじめ国学者は、古典の文献解釈をよりどころとする「文献絶対主義」であった。宣長にとっては『古事記』が絶対の聖典だった。

だが篤胤は、わが国の古典をはじめ、幕府禁制のキリスト教や西洋天文学まで広範囲に文献解釈しながら、民間伝承や聞き取り調査も重視した。こうした学問の手法を取った篤胤を、折口は民俗学者の草分けだと高く評価した。

東日本大震災では多くの命が失われた。その悲しみやショックの大きさを物語るのか、4年たった今でも幽霊を見たという証言が後を絶たない。カウンセラーに当たった医師たちは幽霊について「脳が疲れて幻覚を見たのだろう」と被災者を励ます。ところが被災者は納得せず、悩みは解決されなかった。

こうした現状を受け、東北大学宗教学研究室は、被災者の話を傾聴し、心のケアを図るため「実践宗教学寄付講座」を2012年4月に設置した。被災者の心をケアする宗教者を養成する講座である。

そこでは「現れた幽霊にどんな意味があるのか」という問いに答え、被災者の心をケアする方法を学ぶ。宗教者なら被災者の「霊的な現象」に向き合えると考えたからだ。

果たして亡くなった人々はどこへ行くのか。無になったのか。残された家族や縁者の思いは計り知れない。悟りに到達したような聖人でない限り、「死」というものを理屈の上では理解しても、その得体の知れない不安や底無しの恐怖からは逃れられないのが現実だ。けれども、もしも魂が存在し、またこの世に生まれ変わるなら、亡き人も残された人々にもいちるの望みとなろう。

篤胤は「死後の霊魂の行方」に強い関心を寄せた。霊魂をテーマとした著作が幾つもある。その中で「前世を知る少年」を記録した『勝五郎再生記聞』は、実在の人物からの詳細な聞き取りという手法を取った異彩を放つノンフィクションである。

 

このページの先頭へ