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前世知る少年 秋田魁新報連載 平田篤胤『勝五郎再生記聞』を読む

第六回 不可思議な記憶 死後の出来事を語る<

前世知る少年 勝五郎

簗瀬均氏、秋田魁新報社の許可を得て掲載しています。大きな画像はこちら


文政5(1822)年11月ごろ、勝五郎は前世の記憶を家族に語ったが、誰からも相手にされなかった。それなのに今度は、前世の両親に会いたいとせがむようになった。

母は4歳になる勝五郎の妹に乳を毎晩飲ませるため、勝五郎の世話をできず、夜はいつも祖母が勝五郎と添い寝をしていた。ある晩、勝五郎は「程久保村の半四郎の家に連れていってほしい。あちらの両親に会いたい」と言った。

祖母は、勝五郎が変なことを言うと聞き流していたが、その後も前の両親のもとに行きたいとせがむので、「それなら、ここに生まれるまでのことを、始めから詳しく話してごらん」となだめて尋ねた。勝五郎はたどたどしくも、これまでのいきさつを詳しく語り、「両親以外には、絶対に言わないでほしい」と重ね重ね祖母に約束させた。

〈 この話は文政6(1823)年4月25日に気吹舎(いぶきのや…平田篤胤の私塾)で聞いた。かつてある人(池田冠山)が勝五郎の祖母を尋ねて書き取った内容は知っていたが、今回はさらに勝五郎とその父に、始めから終わりまでの経緯を尋ねて聞いた内容である 〉※伴信友の注釈

勝五郎は言った。「前世のことは四歳くらいまでよく覚えていたが、だんだん忘れてしまった」

米バージニア大学医学部知覚研究所の調査では、前世の記憶を話し始める最年少が0歳からで、多くは3~4歳で話し始め、7~8歳ごろから記憶を失うという。

おらは病気のために死ぬ命ではなかったが、薬を飲まなかったので死んでしまった(疱瘡だったことは知らなかった。後に人がそう言っていたのを聞いて知った。死んだときは文化7年2月4日に当たる)。

勝五郎は、何の病気か分からないまま死んだのに、後に病名を知ったという。以降、勝五郎は亡くなってからの記憶を語る。

この世に生まれてくる前の世のことを一般には「前世」と呼ばれる。しかし魂(意識)を研究する学会では、「過去生記憶」と「中間生記憶」という用語を使っている。

「過去生記憶」とは、前の人生の記憶のことを指す。前の人生で生まれてから亡くなるまでの記憶のことである。

前の人生で亡くなってから生まれ変わるまでの記憶をもつ子供たちもいるという。つまり死後の世界である。この死後の出来事についての記憶を「中間生記憶」と呼ぶ。

通常は亡くなったら身体が機能しないため、記憶など残らないはずである。それなのに、自分の葬儀の様子を上から見ていた、お花畑に行った、神仏のような存在に導かれたといった、前の人生では体験できないような、不可思議な死後の記憶が語られる。

バージニア大学医学部知覚研究所で同大客員教授の大門(おおかど)正幸博士は、生まれ変わりの膨大な事例から中間生記憶の有無を調べた。過去生記憶をどれほど鮮明に覚えているかについても調査した。

その結果、生まれ変わったという子供たちは、過去生記憶ばかりでなく、中間生記憶を持つ場合が少なくなかった。過去生記憶が事実と一致し鮮明で正確なほど、中間生記憶も鮮明に覚えている傾向が見られた。(2014年11月京都大学における人体科学学会での大門博士の発表)

中間生記憶を持つ子供たちが少なくないとはいえ、死後の世界は、果たして存在するのだろうか。また肉体のない死者に魂(意識)はあるのだろうか。

 

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