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前世知る少年 秋田魁新報連載 平田篤胤『勝五郎再生記聞』を読む

第一回 民俗学者の草分け 霊魂に強い関心抱く

前世知る少年 勝五郎

簗瀬均氏、秋田魁新報社の許可を得て掲載しています。大きな画像はこちら


平田篤胤著『勝五郎再生記聞』では、亡くなって魂(意識)になった藤蔵が、不思議な老人から「あの家に入って生まれなさい」と言われ、その家のそばへ行く。

言われたとおり家のそばに来て老人と別れ、庭の柿の木の下に3日ほど、じっとして様子をうかがっていたが、窓の穴から家の中に入り、かまどのそばでさらに3日ほどいた。そのとき、母がどこか遠い所に行ってしまうということを、父が語っていたのを聞いた。

これ以降は注釈。勝五郎の父の証言を、伴信友が書き取った内容。

父源蔵によれば、これは勝五郎が生まれた年の正月のこと。ある夜、源蔵夫婦は寝室で、このような貧しい暮らしに子供が2人もいては、老母を養うにも事欠く。3月から妻が江戸へ奉公に出ることを語り合ったという。

だが、このことは老母に話していなかった。2月になってから老母に告げ、3月に妻を奉公に出したところ、先方で懐妊が分かり帰郷した。

はらんだのは正月で、月満ちて10月10日、勝五郎が生まれた。このことは夫婦以外知るすべもなく、勝五郎が知っているのは不思議だ。懐妊したとき、生まれたとき、その後も特に不思議なことはなかったという。

ここからは再び勝五郎の証言。

その後、おらは母のおなかに入ったように思うが、よく覚えていない。おなかの中では、母が苦しいだろうと思ったとき、体を脇によけたことを覚えている。

生まれたときは、全く苦しくなかった(程久保村で藤蔵が文化7年に死んでから6年目に当たる)。この他どんなことも4つ5つまではよく覚えていたがだんだんと忘れてしまった。

こうして勝五郎は文化12(1815)年10月10日に生まれた。『再生記聞』には出てこないが、勝五郎が生まれたとき祖父勘蔵はまだ存命である。墓碑には文政4(1821)年に没したと刻まれている。

バージニア大学医学部教授だった故イアン・スティーブンソン博士が著した『前世を記憶する子どもたち』は、勝五郎のように不思議な賢者のような人物に誘われて生まれ変わった海外の子どもたちを紹介している。賢者は死者を世話し、生まれ変わる家族へ案内するという。

前世を記憶するミャンマーの修道僧サヤドウ・ウ・ソバナは、前世の死後、賢者に前世住んでいた村へ連れ戻されたという。初めは自宅へ行ったが、結局は自宅から2、3軒先の家に前世のソバナを置いて賢者は去り、その家で生まれた。ソバナは、信心深く博愛的な生涯を送り、老衰で亡くなったという前世の記憶を持っていた。

生まれ変わりの歴史は古い。古代ギリシャの哲学者ピタゴラスは前世の記憶を持ち、生まれ変わりがあることを弟子たちに教えた。同じくプラトンも著書『パイドン』(岩波文庫、岩田靖夫訳、1998年)などで、生まれ変わりの実在を主張している。

生まれ変わりを想起させる前世の記憶を持つ子供が多いのが、インドやミャンマー、タイ、スリランカ、ブータンなど輪廻転生(りんねてんせい)を信じるヒンズー教徒や仏教徒が多い東南アジアや南アジアの文化圏だ。そうした信仰を持たない北アメリカの白人にも300例ほどの事例が見つかっている(バージニア大学医学部知覚研究所)。

国民の8割以上が仏教徒であるミャンマーでは、徳を積むと幸せな生まれ変わりがかなうという。国民の多くが輪廻転生を信じ、幼少時に前世の記憶を持つ子供が珍しくなく、親がそうした発言を止めることもしない。こうした死生観がミャンマー人の道徳規律を形成。この世でよくない行いをすれば、来世で畜生道(動物や虫の世界)に落ちるとされる。

ブータンでも、自分は何かの生まれ変わりであり、死んだ後も生まれ変わってこの世に帰ってくると信じられている。ミャンマーと同様にお経を唱えたり、お寺にお参りするなどの宗教行為は、来世で良い境遇に生まれるように願って行われる。

 

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