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物語の解説

藤蔵と小宮家

日野市程久保の小宮豊家は、勝五郎が生まれ変わる前の、藤蔵の家を継承しています。曾祖父の小宮鏡治郎氏が養子として迎えられた際に実家の小宮姓に改めましたが、それ以前は「須崎」を名乗っていました。

家は建て替えられたものの場所は同じで、『勝五郎再生記聞』にある「三軒並んだ真ん中の家で裏が山に続く」という当時の景観を残しています。藤蔵の墓向かいの「たばこや」(屋号 須崎姓)も同じ場所にあります。藤蔵やその家族の墓は、同家が所有していた山の墓地にありましたが、現在は高幡山金剛寺の墓地にあります。

同家には、藤蔵の没年を示す過去帳や位牌があり、同家の仏壇には、長い間誰のものともわからないまま露姫の戒名が書かれた位牌が祀られてきました。平成19年の調査団の鳥取調査で、池田家ゆかりの雲龍寺から露姫の遺墨・戒名の刷物・覚書が発見され、冠山が、遺墨とともに戒名の刷物を配布していたことがわかりました。長らく謎であった露姫の位牌が小宮家に継承されている経緯が判明したのです。生まれ変わりの伝承を大切にし、ゆかりの品々を継承してきた同家が、ずっと露姫の菩提を弔ってきたということは、とても不思議な縁を感じさせる事実です。

同家の前には、寛政7年(1795)建立の六地蔵があり、藤蔵が香華を手向けたこともあったであろうと思われます。

 

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