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勝五郎と学者・文人たち

小泉八雲と勝五郎

Gleanings In Buddha-Fields 仏の畠の落穂ラフカディオ・ハーン(1850―1904)は、明治23年(1890)4月、40歳の時にアメリカから来日、日本の文化、伝承・昔話などに興味を持ち、海外に紹介しました。松江・熊本・神戸・東京と居を変えながら、明治29年に帰化して小泉八雲となりました。明治30年9月、八雲はアメリカとイギリスで随想集『仏の畠の落穂』を刊行、この中の一編として「勝五郎の転生(Rebirth of Katsugoro)」を執筆しました。

『仏の畠の落穂』は創作ではなく、八雲が興味を持った日本人の宗教的な心情を示す事項を資料に基づいて紹介したもので、「勝五郎の転生」ほか11編が収められています。八雲が勝五郎の転生を執筆するときに原本として使用したのは、土佐藩出身で明治天皇の側近として活躍した佐佐木高行の蔵書『珍説集記』です。同書が、國學院大學図書館所蔵「佐佐木高行旧蔵書」コレクションのなかにあることが、平成20年に蔵書目録が刊行されたことにより、判明しました。

同書の存在を八雲に教えたのでは、友人の雨森信成(あめのもりのぶしげ)です。彼は、明治の初めに英仏に留学、英独仏の三か国語に堪能で、後には横浜のホテルニューグランドに出入りする洗濯業を営んでいました。雨森は、英国留学時代に、高行の長男高美と親しくなり、帰国後佐佐木高行が主催していた『明治会叢誌』の編集者となりました。佐佐木高行は蔵書家としても有名で、同家に親しく出入りしていた雨森は、蔵書のなかから「珍説集記」を見つけ八雲に見せたのです。

八雲は「勝五郎の転生」のなかで、この資料を読むことで、前世の記憶の可能性を知ることだけでなく、日本人が前世と再生について抱いているごく普通の観念を知ることが出来ると述べています。生まれ変わりの真偽を検証することよりも、これに寄せる日本人の心情を理解することが大切であり、八雲もその心情に共感していたことがわかります。八雲が海外に勝五郎の生まれ変わりを紹介したことで、江戸時代に多摩地域で起こった生まれ変わり騒動は、前世の記憶を持つ少年の事例として、世界中の研究者の目に触れることとなったのです。

 

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