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勝五郎と学者・文人たち

池田冠山・露姫と勝五郎

池田冠山と地誌の編さん

池田冠山(松平縫殿頭定常)は、明和4年(1767)10月3日に、旗本池田半蔵政勝の次男として、江戸麹町番町(千代田区)で生まれました。安永2年(1773)に遠縁の鳥取藩宗家の分家西館池田家の養子となり、天明5年(1785)に2万石の家督を襲封しました(享和元年―1801―35歳で隠居)。その領地は因幡若桜(鳥取県八頭郡若桜町)にありました。冠山は学問を好み、特に地誌類の著作や編さん事業に多くの功績を残しています。武蔵名所考

文化7年(1810)、大学頭林述斎(だいがくのかみはやしじゅつさい)は、幕府が収集した書籍の解題目録の作成を冠山に依頼します。これは、冠山が優れた地誌の研究者であったことを物語っていますが、個人の仕事としてはあまりにも膨大なため、間宮士信(まみやことのぶ)を総裁とする幕臣たちによって引き継がれ、「編修地誌備用典籍解題」が編さんされました。しかし、2000部にも及ぶ書籍の解題の半数以上は、冠山の手によるものです。幕府は、この成果をもとに諸国風土記の編さん事業を進めていきますが、『新編武蔵風土記稿』の編さんも、このような経緯のなかで行われたものでした。冠山は、文政7年(1824)には『武蔵名所考』を刊行しました。古歌に詠ぜられた武蔵野の名所を考証したもので、江戸やその近郊に実際に足を運んで編さんしたものです。

冠山、中野村へ行く

文政6年(1823)2月、冠山は突然中野村の勝五郎の家を訪ね、生まれ変わりの話を聞かせてほしいと頼みました。冠山は、なぜ中野村にやってきたのでしょう?

『武蔵名所考』の編さんなどのため、何度も多摩の地を訪れていた冠山は、もしかしたら、そのような付き合いのあった多摩の人々から勝五郎の生まれ変わりの情報を得たのかもしれません。中野村に来たのは初めてだったかもしれませんが、周辺の場所にはそれなりの土地勘があった上での中野村訪問であったのではないでしょうか。しかし、隠居とはいえ元大名が直接農民の家を訪れるのは、異例のことだったのです。

突然江戸からやってきた立派なお侍に、勝五郎はすっかり気後れしてしまって何も話すことが出来ませんでした。仕方ないので祖母つやが、勝五郎から聞いた話を説明しました。冠山は、江戸へ戻ってから、聞いた話を『勝五郎再生前生話』としてまとめ、友人たちに見せました。冠山は、あえてつやが話したそのままの言葉で記録しました。文人大名として活躍していた冠山の著作は、江戸の文人・学者の間で大評判となり、中野村領主多門伝八郎(おかどでんぱちろう)の勝五郎親子の江戸への呼び出し、平田篤胤の聞き取りへと発展するきっかけを作りました。

幼くして亡くなった露姫

冠山の中野村行きには、露姫の突然の死が深く関わっています。冠山には正室はなく、側室との間に8男16女という多くの子どもに恵まれました(このうち18人は、成人前に亡くなっています)。

露姫は、冠山が51歳の時、最も愛したと伝えられる側室おたえの方との間に生まれた末娘でした。利発で信仰心が厚く、多くの人に愛されていた露姫は、文政5年11月27日、疱瘡(ほうそう)(天然痘)のため数え年6歳で亡くなってしまいました。

深い悲しみのなかにあった冠山にとって、露姫と同じように、6歳の時に疱瘡で亡くなった藤蔵の生まれ変わりであると語る勝五郎の存在は、露姫の再生を期待させるものであったのではないでしょうか。

露姫もどこかで生まれ変わっているのではないか・・・。わが子露姫の再生を願って、中野村への道を急いだ冠山の心情はどのようなものであったことでしょう。

露姫の追悼物語

露姫は、多くの人に追悼を寄せられたお姫様としても有名です。露姫の生涯は、池田家の家臣服部脩蔵が著した『玉露童女行状』(玉露童女は露姫の法号の略称)に詳しく綴られています。露姫遺墨これによると、露姫没後1か月ほどたった頃、遺品の中から露姫の書付が見つかりました。それは世話になった侍女や母、兄弟などへの、感謝の気持ちや惜別の思いを詩歌に込めて綴ったもので、特に父冠山への飲酒を諌める手紙は、人々の感動を呼ぶものでした。

冠山は、露姫の菩提を弔うために、遺墨四通と戒名を、刷物として全国の寺院や友人・知人に送り、追悼文や詩歌を求めました。

露姫の親兄弟を思う心情は、多くの人の共感と感動を呼び、老中だった松平定信(楽翁)から、市井の人まで、老若男女を問わず1600余点の追悼が寄せられました。冠山は、これらを30巻の巻子に仕立てて淺草寺に納め、現在も淺草寺には29巻の追悼集と、露姫の木彫像が遺されています。

現世では関わりようのなかった村の少年、藤蔵・勝五郎と大名のお姫様露姫は、父池田冠山の追悼のなかで、深く結び付けられていったのです。露姫の夭折がなければ、勝五郎の生まれ変わり物語が、現在のように語り継がれることはなかったのかもしれません。勝五郎生まれ変わり物語は、露姫の夭折から始まっているのです。

 

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